2009-10-17

私の音楽歴

自己分析も兼ねて音楽的自分史を書いてみます

まずは略歴から

音楽との出会い(小学生時代)
  1. 5歳くらいのとき、母親に手をひかれピアノ教室につれていかれる。鍵盤をたたくと音が出るのが楽しかったらしい。
  2. 小学生時代を通じて、ピアノをのほほんと続ける。元来のん気であり、ピアノの先生もコンクール志向ではなかったためあまり上達せず。ハノンの機械的なフレーズが意外と好きだった。
  3. 小学校高学年の話、当時の校長先生は作曲をこなし、校歌まで自作してしまうという大の音楽狂であった。しかも「水、音、光」が市のスローガンとなっていた。平和な時代であった。小学校の授業カリキュラムでも音楽の授業がふんだんに設けられていた。生徒の自主性を重んじる授業が多く、クラシックギターを弾いたり、スネアドラムを連打したりして自由連想的な作品を作るような授業もあった。「花火」という題でアンサンブルしたのを覚えている。クラシックギターはFmのところをEmにして演奏していた。押さえられないからとはいえなんとも恐ろしいことである。
  4. 初恋の女の子と音楽の授業中にリコーダーを合わせたり、休み時間オルガンを一緒に弾いたりした。Pricelessな思い出。周りは大いにひやかしていたが、当の本人は極度のにぶさのためいっこうにきがつかず。記憶により思い出が美しめに改竄されている可能性あり。同時に私の全盛期だった可能性が高い。
ギターとの出会い、またはビートルズとの出会い(中学時代)
  1. 中学一年の冬、腎臓をやらかして運動を半年間禁じられた私は(現在は完治)、「何か一芸を身につけなければ」という切実な思いから、町の楽器屋でフォークギターを購入する。9800円だった気がする。店員の女の人が「チューニング致しましょうか?」と聞いてきたことをなぜか覚えている。メーカーについては失念。
  2. 「Go Go Guitar!!!」という雑誌を買って練習にはげむ。無論Fが押さえられない。初めてのギターは最初からネックがそっていて弦高が高く、そのようなアコギで初心者にバレーコードを押さえろというのはいかにも酷であろう。一番最初に通しで弾けるようになったのはEvery Little Thingの「Time goes by」、なぜならFが出てこないから。ウォーウォーウォー。
  3. 新しい音楽を探して父母所蔵のカセットテープを漁っていた私は、ある日偶然にひとつのテープと出会う。それはビートルズの通称「赤版」「青版」といわれるものであった。はじめて耳にしたのは青版の初めに入っている「Strawberry Fields Forever」。こんなことはあんまり書きたくないのだが、正直ちょっぴり運命を感じる。当時は全然意味のわからない種類の音楽であった。ふわふわした曲だな―というのが第一印象。
  4. 一年後、いつのまにかビートルズにすっかりはまった私は、無論カセットをダビングしラベル書きをするという儀式を行った。好きな女の子にプレゼントするためである。几帳面に細かい字で曲名を書き、ドキドキしながら渡すのだ。曲の感想が聞きたかったが、残念ながらNoReplyであった。よくある類の話である。
今回はここまで!!!!!!

引っ越し

bloggerに引っ越してみました!!!

Local Agricultural Society (09/10/15)

My Spaceつくりました!!

とりあえず前回記事で宣言した習作
「Local Agricultural Society 2」をアップしました
(1はなんかもったいないので欠番にしますw)
↑に記したサイトでご試聴いただけます
音源作成手順
  1. Acidで気に行ったループ素材を適当に10個ひっぱってくる
  2. 二部構成にスケッチ 組み合わせる
  3. Acid内で音量とパンの調整
  4. エクスポート
  5. Sonarに取り込む
  6. リヴァーブをかける
  7. 適当にマスタリング
  8. MySpaceにアップ←ここが一番苦労した
収穫
Acidが楽しかった、いい玩具
一応まともにmp3形式で配布できることがわかった

反省点
リヴァーブのかけ方が下品すぎる
旋律部分をこれからどうしていくか・・・

もしお聴きいただいて ポジティブな感想、批判的意見、アドヴァイスなどありましたら コメントいただけるとうれしいです

打ち込むお (09/10/14)

先週末、山の中で弾き語りしたらすんごい気持ちよくて、
音源作るような意欲が湧いてきたので昔揃えておいた音楽ソフトを引っ張りだしました。
つってももう周りにバンドやってる友人いないので、一人でシコシコ打ち込みですよ!

現在の状況
もりしゅん
打ち込みLv.1

装備品

  • Sonar(古いやつ)
  • Acid (フリーのやつ)
  • Tascamのカセット4トラックMTR(高校生の時に購入、旧時代の遺物だぜ!)
  • モーリスのアコギ(最近6弦を強く弾くとビビル)
  • ボロピアノ(10年以上調律してない)
  • ボロマイク(志向性が狭いやつと広いやつと一本づつ)
  • ピアニカ&リコーダー&ブルースハープ二本
出張中の方々
テレキャスター Deluxe(かなりの激戦を耐えしのぎボロボロだとか)
OCDとかTube ScreamerだとかLine6 Modulation Modeler、Digital Delay…
愛しのギター・エフェクターたち
高かったパッチケーブルとかシールドとかパワーサプライ
チャリかごに入れすぎてぼろぼろになったエフェクターケース
(歌詞みたいになってきたぞオイ)
彼らは僕の代わりに戦ってるわけですが、 頑張ってるか~~お~い!!!
まぁ使われずにいたらこの子たちも可哀そうなので本望です。
シャバの空気を吸っていてください。

話を戻して

打ち込みとか本格的にやったことないんですが、
(昔ちょこっとだけやったが、すぐに面倒くさくなったのでやめてしまった、今は反省している)
これからインターネットがますます支配的になり、
音楽もシミュラークル(コピーのなんかカッコいい言い方)を生き延びていかなければならないであろう21世紀の音楽シーンを楽しく泳ぎきるためにも、
今のうちDTMにどっぷり浸かっておこうと思います。

というのも、レコーディングを経験したおかげでミックスとかアレンジの重要性をこれでもかと痛感させられたからです。痛かったですよ。これからはアーティスト自らここらへんもある程度できるようにならんといかんでしょう。外注すると金かかるし。どげんかせんといかん。

とりあえずDTM練習したいので、画家が習作を何枚も描くように、習作をとにかく沢山作りたいとおもいます。Local Agricultural Society という題で連作にします。気分次第で変更します。あと大学時代にスケッチしながらも打ち捨てられている曲たちを一応形にしてみようかなと考えています。そのうちマイスペース作ります。

野望としてはドビュッシーの響きをポピュラーミュージックに導入すること。
オーディオインターフェース無いんだよな・・そういえば・・致命的すぎる。 25000くらいらしいから積み立てなければ。

ドビュッシー研究、その1 (09/10/07)





『月の光』 ヴァイオリンとのデュオ







クロード・アシル・ドビュッシー(Claude Achille Debussy, 1862年8月22日 - 1918年3月25日)フランスの作曲家である。長音階・短音階以外の旋法の使用、機能和声にとらわれない自由な和声法などを行った。 ドビュッシーの音楽は、代表作『海』や『夜想曲』などにみられる特徴的な作曲技法から、「印象主義音楽(印象派)」と称されることもある。
>>Wikipediaより引用



 卒論のテーマだったドビュッシー研究をほそぼそと続けようかなと最近考えています。


 一口にドビュッシー研究っていうと簡単なような気がしてくるのですが、一人の人間が一生をささげた(それも大天才が)音楽活動を紐解いていくわけですから、ある意味では小宇宙(ミクロコスモス)を探索するに等しい試みであるといえます。つまり、完全に理解しようと研究をスタートさせるとそれは最初から破綻することになるでしょうし、そもそもそういった研究アプローチは(音楽という領域においては)間違っていると個人的に考えているので、割と心の赴くままに、取りとめもなく?研究しようと思っています。というかもう研究機関に所属していないので、探求というべきでしょうか?
  いずれにせよ、個人的な関心に合わせてどんどん論点をジャンプさせたいのです(フランス流に)。それがドビュッシーの音楽性にも合っているような気がします。

私とドビュッシーとの出会いをふりかえるに、それはやはりピアノを習っていたことに由来しています。私は、5歳~17歳くらいまでピアノ教室に通っていましたが(そんなにうまくなりませんでした)、当時はモーツァルトやベートーヴェンなどのソナタ曲に惹かれることはなく、どちらかというとロマン派の標題が付いている単品の曲に魅力を感じていました。ショパンとか、リストですね。感傷的なのが好みだったのです。
 
 ドビュッシーに興味を持ったのも、その延長線上にあります。有名な『月の光』『アラベスク』に惹かれました。当時の印象としては、まず音が奇麗、そして響きが斬新、だけどある意味ではまとまっていて、さらに論理的、何といってもほかの作曲家と全然違う、というものでした。
  
 現時点では、音楽史の流れや理論的背景をかじったことで、割と客観的に西洋音楽史の中に位置するドビュッシーを眺めることができるようになりましたが、この当時の印象は今考えてもそれほど的外れではないように思います。




しかし、このような私が期待するドビュッシー像というものは、大学の後半戦にさしかかり、卒業研究の一環として彼に関する文献を読み始めると同時に裏切られることになりました。確かに、彼は音楽に「綺麗」な側面を付与することを重視しています。しかし、彼の美学はきらびやかさのみを目指したものではなく、どちらかというと人間の負の側面をえぐりだすようなテーマを数多く選び、またそういった作品をたくさん書いているのです。 
 
 ドビュッシーは、19世紀中ごろに一大金字塔を立てたボードレールの『悪の華』に始まる文学、その系譜につらなる詩人(有名どころではランボー、ヴェルレーヌ、マラルメなど)たちの作品を愛読し、そこから自らの音楽的思考、または音楽的イマージュを育んでいきました。つまり、彼の音楽が息づく精神的風土は19世紀末にフランスで流行した象徴主義文学にあるといえます。
 
 ドビュッシーは象徴主義文学における「ほの暗さ」(一言で暴力的に要約しようとするとこうなるようです)にとらわれたのです。






結論として、ドビュッシーの音楽を研究するためには、文学と音楽がクロスオーバーする領域(歌曲、オペラ)をかなり重視しなければなりません。このことに気がついた大学三年当時の私は、あまりの難題に血の気が引く思いでした。フランス語も道半ば、文学はほとんど門外漢だった私にとっては如何ともしがたい絶壁が目の前にそびえたっているような心もちでした。


 しかし、振り落とされながらもよじ登る途中で、世紀末流の暗く広大な地下世界に息づく文学作品に出会い、同時に、今となっては大のお気に入りの画家であるギュスターヴ・モローに魅了されるなど貴重な体験もありました。ついでに精神的に衰弱しました(笑)






 大学を卒業してしまっては制限時間もないので(死ぬまでには、もう少し何かを掴みたい?)、ドビュッシーと縁の深い19世紀末フランス文学を拾っていく作業というものも楽しみながらやっていけたらと考えています。というか、まずはプルーストの『失われた時を求めて』を読まないといけないですね、フランス文化探求者の教養として。


今回はこれで筆を置きます。

岡本太郎の文章が素敵な件について

今さっき、ひょんなことで借りてきた、
昭和43年(!!)に出版された、 岡本太郎の『原色の呪文』という芸術を論じたエッセイ集を読みはじめました。

彼は戦前のフランス芸術家・知識人との交流が深かったので、
でてくる固有名詞をたどるだけで、 私にとってはわくわくでたまらない文章が並んでいます。

それで、なんとなく序文を読み始めたのですが、
いきなりガツーンと来たので、 びっくりした箇所だけ備忘のため記しておきます。
明日にはそうでもないな?とか思ってるかもw  

 それからは生涯を通じて、決意した自分に絶望的に賭けるのだ。変節してはならない。精神は以後、不変であり、年をとらない。ひたすら、透明に、みがかれるだけだ。  もちろん貫くには、瞬間、瞬間、待ち受ける厖大な障害がある。それはこちらをねじ曲げ、挫折させ、放棄させようとする。だが、そのようなマイナスは、それと徹底的に対決することによって自分を豊かにし、純化し、深める、いわば触媒であるにすぎず、そのたびに己は太く、強くなるのだ。どんなことがあっても、自分がまちがっていたとか、心をいれかえるとか、そういう卑しい変節をすべきではない。一見、謙虚に見えて、それはごま化しであるにすぎないのだ。



俺を含めた、人生の節目に悩むすべての人に捧げます。
(ていうか俺の書いた文章じゃないから、捧げるとか言いだすのは失礼だけど・・・)

恩田陸『ネクロポリス』 ブックレビュー (09/10/01)


民族学を志す研究者の卵、ジュンは異国の地アナザーヒルへと足を踏み入れる
この場所では、死者が還ってくる
蘇るのではない
遠い円環を描いて、
いつのまにか、彼らは目の前に現れるのだ

近代は、死をどこまでも遠ざけてきた
見えないように
考えないように
至上命令「すべての死臭を消せ」
しかし、清潔を装えば装うほど、
我々は原初の血の匂いをかぐことになる


アナザーヒルでは、 重なりあったセロファンの原色が、 闇の熱に溶かされていく
くすんだグレーに、 はじまりの色に
すべての色がそこから生まれ、
すべてがひとつの色へとまた還っていくのだ

太古の記憶が現前する意識と混じり合う
文字を持たぬ詩が科学論文を相手取り、反乱の狼煙を上げる
原始宗教が拠り処とした直観が、
今再び、
現代社会が誇る理性に逆ねじを喰らわせる




この物語は狂気を描いたものなのだろうか?
それとも、我々の生きるこの現実のほうが、
すでに狂気に支配されてしまったのだろうか?



~~作品から~~

人間というのはなんと不可思議な存在だろう。極めて物理的な存在でありながら、やはり自然の一部であり、容れ物である身体に比べて、精神活動は超自然に近い。現実的であろうとする精神は、常に矛盾の間で引き裂かれつつも、その微妙なバランスのとれた小さな一点を縫うようにして未来へ向かおうとする。  こんなことを自然と考えてしまうのも、ここにいるせいなのだ。  ジュンはしみじみとその事実を噛み締めた。  東京でこんなことを言ったら馬鹿にされるか、心配されるかのどちらかだろう。なぜかあそこでは、物理的な人は物理的な一面、超自然的な人は超自然的な一面からしか物事を見ることができないのだ。本来、両方を持っているのが人間だというのに。
( 第十一章「提灯と壜詰」より)

人間など、忘れっぽい生き物。今、ここでこうしていれば、アナザーヒルが世界のすべてになって、可愛い恋人のことなど別世界の見知らぬ生き物のようにしか感じられない。けれど、ここを去れば、また新たな目の前の現実が待ち構えている。残酷だが、それが事実だ。
(第十二章「地下への旅、地下からの旅」より)

「女の子は、どうすれば相手が自分に言い寄ってくれるか本能的に察知してるものよ。彼女はジュンの性格をよく把握してる。(中略)あなたの優しさは、自分のやりたいことを実現するために、無意識のうちに他人との摩擦を避けるものでもあるのよ。彼女はそのことを知ってる。だから、自分からアプローチするのではなく、あなたが自主的に彼女を選んだと思い込ませるように画策したの」
ジュンは感心した。苑子が実際にそんな手練手管を使ったかどうかは不明だが、自分の性格に関するハナの分析は当たっているように思えた。
「すごいな、ハナ。君、心理学者になれるよ」
ハナは顔をしかめて首を振った。
「まさか。女の子なら誰だって、こんなことわかるわ」
(中略)
「ハナには、その、彼氏はいないの?」
「あたし? いないわ」
探りを入れると、ハナはたちまち表情を硬化させた。
「本当に? そんなはずないだろ。これほどの美人に」
ジュンが驚いてみせると、ハナはかあっと赤くなった。
あれ、と思う。ジュンのことはあれほど緻密に分析してみせたのに、自分のこととなるとからっきし駄目なのだ。
ハナは自分が赤くなったことに気がつくと、慌てて顔を背けた。
「ほんとうにいないもん」
(第十章「生者と死者の幕間」より)

よりそれにしても・・・・ハナかわゆすなぁ(笑)

BookList in Sep.(09/09/10)

九月も終わりですね
以下は備忘のため、今月読んだ本のリスト


小説、エッセイ
  • 村上春樹『意味がなければスイングはない (文春文庫)』文藝春秋
  • 恩田陸『ネクロポリス(上)(下)』朝日文庫
漫画
  • あだち充『H2』 ※何回読み返したことやら(笑)
  • よしながふみ『大奥』『ソルフェージュ』
学術
  • 芦部信喜『憲法 新版』岩波書店
  • 川本茂雄『ことばとイメージ-記号学への旅立ち-』岩波新書 331
  • 宮崎正勝『早わかり 世界史』日本実業出版社
  • 江上波夫『要説 世界史』山川出版社
ビジネス、啓蒙
  • 福沢諭吉、斎藤孝(訳)『学問のすすめ 現代語訳 (ちくま新書) 』筑摩書房
  • 平野次郎『英語ものがたり』中経出版
  • 川村 明宏、若桜木 虔『頭がよくなる速読術―どんな勉強も多分野学習法でスイスイ! 』日本実業出版社
  • 佐野 秀雄、佐野 誠『こんなにおもしろい行政書士の仕事』中央経済社
PC
  • エクスメディア『超図解 Excelで困った こんなときどうする? (超図解シリーズ)』
  • 同上『超図解 Word2007で困った!こんなときどうする? (超図解シリーズ) 』

Change the World (09/09/29)

鳩山総理が国連総会を舞台とした演説で、 華々しくデビューを飾りましたね。
私は、(23の若輩者ですが)衆院選直後には色々と思うところがありましたが
現時点では素直に鳩山演説に感服している一人であります。
その気迫に。

ところで、マスメディアによると オバマ政権と鳩山政権の共通点を評するに、
「Change/チェンジ」という言葉に 集約されるそうですね。
たしかに、ブッシュからオバマという流れの中で 国際的に相互理解を重視する立場にスイッチしたことは、 今後の世界情勢を占う上で見逃してはならないポイントとなるでしょう。

また国内でも鳩山人事が完了し、 国家戦略室(法制が整うまで「室」で行くらしいですね)主導のもと、
ビシバシ、ザクザクと、
旧態依然とした悪弊を取り除く作業に取り掛かったようであります。

ま、政治のことはともかくとして 「合言葉はチェンジ!!!」ってことですな。
ちなみに、ロック界というものは先を見越すことに関しては意外と長けておりまして??
10年ほど前に、すでに"Change"を歌っている人がいます。
その御方とは、ご存じエリック・クラプトン。
曲名は"Change the world"
youtubeで視聴したい方はコチラ


That I can change the world
I would be the sunlight in your universe
You will think my love was really something good
Baby if I could change the world

ねえ、ベイビー、 もし僕にそれができるなら、 君の眼に映る世界を変えてみせるよ

こんな台詞、言ってみたいデス